扁桃腺の思い出…

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別の日記で思わず扁桃腺の話題が盛り上がったので、
ちょっと思い出した、私の子供の頃の扁桃腺エピソードをば。

確か高校生ぐらいまで、毎年夏に扁桃腺腫らして熱を出していました。
風邪そのものはあまり引いたことがなく、大概扁桃腺炎でした。

そんな中で、今でもいちばんよく覚えている夏が、小学校6年か中学校1年ぐらいの扁桃腺炎(笑)。
当時、両親とも共働きだったんですが、とある平日、出張帰りでお休みだった父が家にいました。
父の出張中に喉が腫れつつあった私は、家で大人しくしつつ、喉の痛みでご飯が食べられませんでした。
母の不在中に、子供の具合の悪さを目の当たりにして泡食った父は、自転車をふっ飛ばして薬局へ行き、
ルゴール(のどぬ~る、とかいったかなぁ)を購入してきました。

さて、ここからが大変。病院で、のどに薬を塗っている光景は何度も見ているものの、
実際塗ろうとしても、どこに塗って良いやら、皆目検討がつかなかった父。
痛いのを堪えつつ、一所懸命口をあけて「あ~」って必死な私。
そして何を決意したのか、父は、あの独特の、柄の長い綿棒に薬を付けると、私の口の中へ差し入れました…

途端に、ものすごい吐き気に襲われ、げほげほ咳き込みだした私。
「しばらくの辛抱だから、大人しくしていなさい」と怒鳴る一歩手前の勢いで叱る父。
その攻防がしばし続き、結局どうしても私が耐え切れず、父は薬を塗ることを断念したのでした。
その時の父の怖かったこと…私は具合の悪いのを通り越して、父が怒ってしまったことにとても
心細くなりました。

でも、どうしても、どうしても耐えられなかったんですよ。
なんでだか、分かりますか?

炎症を起こして腫れあがるのは、のどの両脇(といえばいいのかな)ですよね。
でも、父が一所懸命塗ろうとしていたのは、両脇ではなく、のどのど真ん中にある、そう
のど○○こだったんです(涙)。

夕方、帰宅したが母が、テーブルに広がった薬と、落ち込んだ私と、怒っている父を見て一部始終を知り
父のことをそれはもうとてつもない剣幕で、怒ってくれたのでした(苦笑)。そして私はようやく
適切な場所に薬を塗ってもらい、炎症を鎮めたのでした。

以来、夏になると、母と2人、その話題で父をからかっていました。
バツが悪そうに黙る父。今でもその時のいじられて痛かった喉と、怖かった父と、さらに怖かった母のことを思い出し、笑みがこぼれます。

その父が亡くなってから、あと2週間もすると丸4年になります。
父の葬儀を執り行ったのが、4年前の有馬記念の日だったのでした。
その頃は競馬には全く興味を持っておらず(有馬記念ぐらいは知っていた程度)、
ただ、その日船橋中が大渋滞だったのを覚えています。

そんなこともあるので、なんとなく、7回忌が終わるまでは、有馬記念には行けないなぁ、なんて
思ったりするのでした。

でも、行けないなぁ、と思っていたからこそ、去年有馬記念に誘われたもののお断りし、そしたら
東京大賞典の存在を教わって、そのおかげで偶然とはいえ、アジュディミツオーと出会えたのだから、
結果おーらいなのかもしれませんけど(って、不謹慎かな?)。