地下鉄サリン事件から11年…

11年、という月日が流れたというのに、未だ解決されていない、この前代未聞の大事件。

あんなにも世間を震撼させたのに、日本はこんなにも危機感を風化させてしまっている。

外国から疑問の声さえ出る始末だ。

11年前の今日…


私は当時、勤務地が築地でした。

就業時間が遅かったので、助かったようなものでした。

もし9時開始の職場だったら…今どうしていたことか、考えるだけでぞっとします。

あの日…人形町駅日比谷線に乗り換えていた私は、駅を降りた途端、異様なムードに気づきました。

日比谷線の駅にシャッターがしまっていたのです。

利用者は騒然としていました。駅関係者もパニック状態。

仕方がないので浅草線で東銀座まで出て、徒歩で築地に行くしかないな、と東銀座駅から地上に
出てみると…

ものすごい轟音とともに、何台ものヘリコプターが上空を回っていました。

何があったのだろうか? ここまで騒ぐとなると、相当なことがあったに違いない。

そう思いながら、私は裏道につぐ裏道を通って、職場へと向かいました(近道だったので)。

もし普通に本願寺前を通っていたら…ショックでへたりこんでいたかもしれません。

職場にたどり着いた途端、職場の人たちに「無事だったか!」と怒鳴り声に似た歓声で迎え入れられました。まだ携帯電話を所持していなかった頃です。一体何があったのか…
普段はつけていない職場のテレビに映し出されていた本願寺前の様子を見て
事情をようやく飲み込めた自分は一気に青ざめました。


その頃、喉のポリープ除去手術のため入院・手術をして、声を出してはいけなかった父は
看護婦さんの目を盗み、自宅の母へ電話をしていました。
上司に「家に電話を入れなさい」と言われるとほぼ同時に母から職場へ電話が入り、
私の声を聞いた途端、母は涙声になっていました。

帰宅してからも、私の勤務地が築地だと知る友人たちから安否を問う電話が鳴りやみませんでした。

それぐらい、恐ろしい事件だったのでした。

あれから11年…

築地からはその後まもなく離れてしまい、今ではたまに散策に行く程度ですが、
最初の勤務地だったことと、そんな一生忘れられない光景の場所なこともあり、
できれば築地に帰りたいな、と、ことあるごとに考えたりもするのです。

もし1時間、30分早かったら…

たとえどんなに辛いことにぶち当たっても、命は大事にしなければ…

人生捨てたくなると、この日のことを思い出します…